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【パニック障害】パニック障害と東日本大震災 東京に住む私が経験したこと


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こんにちは MAMI です。

ご訪問ありがとうございます☺️

 

今日で東日本大震災から8年が経ちましたね。

 

 

私は8年前はすでにパニック障害を発症していました。

 

当時はパニック障害の症状はそこまでひどくなく、

たまに薬を飲みながら、

毎日をやりすごしているという日々でした。

 

地震が発生したときも、仕事で客先にいたのですが、

そこまでパニックになることはありませんでした。

 

 

今思い出すと、

これから先何が起こるかわかっていないから、

余計な不安がでてこなかったんだと感じています。

 

現に、ニュースで地震の状況を知り、

被災地の状況を知り、

家族や知人からどんな状態かを聞いただけで、

パニック障害がある私は、

 

「私だったら耐えられたかな」

「生死を分ける大事なときにパニックになったらどうしよう」

「トイレにいきたくなったらどうしよう」

「とじこめられたらどうしよう」

そんな心配事ばっかりが頭の中をしめていました。

 

ふるさとは福島

私のふるさとは福島です。

地震の当日はなかなか家族と連絡がとれませんでした。

津波が起こる場所ではなかったのですが、

現地の状況が分からないので、

大丈夫だろうと思いつつ心配になりました。

結局22時過ぎころに、家族から連絡がありました。

 

地震が発生して、当日から翌日はまだふわふわした感覚でした。

コンビニから食料が減っていくのを見ては、

ほとんどコンビニから食料をまかなっていた私は、

ぼんやり困るな、と思い、

突然家に新聞の勧誘がきては、

こんなときに勧誘するなんてあくどい商売だな、

と感じていました。

 

それからまた数日がたって、

ボディブローのように、心身にダメージがきました。

 

 

私は福島出身です。

 

ふるさとがたいへんなことになっているのに、

なにもできないもどかしさ、

一緒に震災や原発事故という試練を、

乗り越えられないもどかしさ、

 

でも、どこか自分が被災しないでよかったと

ほっとしてしまっている自分。

 

そんな葛藤で心の中が苦しくなり始めてました。

 

情報番組で絶え間なく流れる災害情報。

その内容を見て、

抑うつ気味になる人が多かったと記憶しています。

 

私もその一人で、

専門家は無理に情報を見ないくてもよいと

テレビで言っていました。

 

でも私は、自分のふるさとが、

刻一刻とかわる状況が、

自分は見ざるを得ない状況で、

それが、自分自身を追い込んでしまいました。

 

 

そして、原発事故によって、

福島に帰りたいけど、帰れない、

帰れる場所がなくなるかもしれないという思いも

私自身を追い込んでいきました。

 

「私なんか被災地の人に比べれば、ぜんぜん辛くないはずなのに!」

 

体調を崩してしまっている自分、

体調が悪くなることも

自分で容認できることができませんでした。

 

 

私は震災以降、少しずつ

身体と心の調子を崩し、

最終的にはこの年に会社を休職することになりました。

休職して福島の実家で休養することになります。

パニック障害の症状はあまりなかったものの、

心身ともに弱っていて、

ふらふらになりながら実家に帰った記憶があります。

 

当時の記憶はぼんやりとしか残っていませんが、

この辛かった経験と、

それをなんとか乗り越えようと、

もがいた休養の時間が

今の私を豊かにしてくれていると思っています。

 

弱くてもいい。

逃げてもいい。

 

自分自身を追い込むことが少なくなり、

気分がマイナスになる情報はなるべく目にしないようにしました。

 

少しずつ自分の気分を上向きにさせながら、

周りに対しても許容できる範囲が広がった気がします。

 

 

 支離滅裂な内容でしたが、

最後までおつきあいいただきありがとうございました。

 

MAMI

 

 

ちょうどこの時期に考えていたのが、

下の記事の内容になっています。

maminiconico2.hatenablog.com