30代からの 自分をかわいがる ススメ

日々を快適に暮らすためにするためしていること

【健康】元気がないと人が集まる場所にいけない話


f:id:maminiconico2:20191029211654j:image
こんにちは MAMI です。

ご訪問ありがとうございます。

 

大学時代の友人から、

結婚式の招待状が届きました。

 

かなり久しぶりの結婚式になるので

服装の参考にしようと

過去に、参列した結婚式の写真を見ました。

(結婚式の服装について悩んでいる記事はこちら→☆☆☆

 

 

 

ちょうど社会人真っ盛りのときの写真で。

見て、思ったこと。

 

私、元気になった。 

 

 

ということ。

 

思い返してみると、

片手で数えるくらいしか、

結婚式というものに参列したことがない私。

 

比較的少ないんじゃないかと思うんですが、

誘われているのは、確かもっとあったはず。

 

自分の体調不良が原因で、

今までたくさん誘いを断ってきたことを思い出したのです。

 

見返した写真に至っては、

二次会に参加したこと自体忘れていたのもありました。

 

人間って、辛いときの記憶は曖昧ですからね。

本当に覚えていないものです。

 

さて、

結婚式にお誘いいただいて、

断っていた理由ですが、

出産する前は、

単純に自分の体調に自信がもてなかったのです。

 

 

当時は体調がよめず、

予定の当日に

急遽行けなくなったりすることが多くあり、

自分を信用できなかったのです。

 

ドタキャンしてしまったことに対する

お詫びも心労になり、

できるだけ予定をいれたくなかった時期でした。

 

その時の私にとって、

知人・友人の結婚式は相当ハードルが高いイベントでした。

 

そして、

昔からの友人が集まって、近況報告をしたり、

お祝いの席なので、自然と笑顔が多くなると思います。

 

心が元気でないと、うまく笑えないんですよね。

二番煎じのような言葉なんですが、本当にこれ。 

 

 

たぶん私は笑っていたんだと思います。

そうすると今度は、

心の状態(ダウナーで鬱っぽい感じ)と、

作り出している表情(笑顔)が

ちぐはぐで、辛くなってしまいます。

 

いつも顔が引きつってないかな?と思っていました。

 

 

辛いときは、近況を聞かれるのも苦痛でした。

「大丈夫」とも「元気」とも言えないし、

だからといって、

「だめ」とも「元気じゃない」とも言えない。

 

そういう状態なので、

人が集まる場所からは徐々に足が遠のきました。

 

第一子を出産したあとも、

何回か親しい友人の結婚式に招待されたのですが、

まだ行ける確信を持てなかったです。

 

パニック障害の広場恐怖も再発気味だったので、

無理を押して参列することができませんでした。

(乳飲み子をおいて、

一人で電車で結婚式にでかけていくというのは、

相当ハードルが高かった。)

 

そんな状態から、数年。

自分なりに試行錯誤してきました。

心からアプローチしたり、

身体を整えたり。

ほんとうにいろいろしました。

 

 

その効果か、

結婚式に誘われることは少なくなりましたが、

結婚式に行きたいなぁと思えるようになったり

こんなワンピース着たいなぁ、と思ったり。

 

行く機会はないけど、妄想して

ワクワクするのを楽しんでいました。

 

そして、今回

念願の結婚式のお誘い。

 

念願ではあったのですが、

さすがに、かなり久しぶりで、

一瞬ひるみました。

 

「怖い」という感情が出てきましたが、

「もう行けるんじゃないか」とも思えました。

 

 

そして、

ああ、私やっぱり元気になっているんだな、と思いました。

 

 

時間はかかりましたが、

もがいた時間も自分の糧になっているな、と思えます。

 

当日は、久しぶりに一人で電車に乗って

出かけることになると思います。

 

不安と楽しみが半々くらい。

でも楽しみが少しでも勝ったら、たぶん大丈夫。

そして、もしうまくいかなくても、

それはそれで大丈夫です。

行けなくても、世界が終わるわけではない。

 

 

こんな日も、くるんだなと思います。

少し、涙がでそう。

こういうときは、自分をほめたいです。

 

 

 

本日も最後までお付合いいただき

ありがとうございました。

 

MAMI

 

秋はセンチメンタルになりますね。

maminiconico2.hatenablog.com

 

いつもセンチメンタルになりがちな私の記事はこちら。

未来の私はきっと泣いているだろう

いつの間にか私も誰かの保護者になっていた

音楽が思い出をつなぐ